やさしい笑顔でいてほしいから

認知症の母と楽しくて悲しくもある記録

医療療養型の病院へ転院しました

母はとりあえず、10メートルくらい歩行器などを使って歩けるようになりました。

骨折し救急車で運ばれ手術をしていただいた病院に3ヶ月も入院していましたが今度は他の病院でリハビリをしながら次の行く先を待つといったところです。

 

医療療養型の病院とは

 

医療保険を利用して入院する長期療養病床

対象者:急性期の治療を終え慢性期の医療を必要とする方

とあります。

ここでしばらくの間リハビリしながらお世話になります。

 

今までの病院までが自宅から車で40分

今度の病院までは少し遠くなり50分くらいかな

この10分の距離はおよそ8キロ

介護タクシーで車椅子ごと移動しました。

料金は9,540円でした。

ちょっと高くない?

 

母は、変わった所に連れて来られた事に気が付いているようで

「さあ、そろそろ帰ろうか」と言いました。

その言葉には胸が痛みます。

 

うちに連れて帰ってしまいたい。

でも、無理だよ。

私は自由を奪われ、訳のわからない話を聞かされ、どうにもならない母の無茶振りに翻弄され壊れてしまいます。

今では畳に座れないし、足が内側に傾くと脱臼してしまうんだって。

 

本当は大好きなかわいい母なのに、今は冷静にそう思います。

仕方ないと割り切る事をいつも自分に言い聞かせています。

せつないです。

車を運転しているときに悲しみが襲ってきます。

 

そうそう

退院の日初めて歩く姿を見ました。

痩せて小さくなりヨロヨロしていました。

 

以前の母ではありませんでした。

しかし、認知症は以前よりも増して思いがけない事を連発しています。

 

ウロウロ病院内を徘徊してはいけないのでセンサーがついています。

でも、夜センサーを外しベッドの柵を乗り越えて廊下を歩いていたとのことで報告がありました。

看護師「医師にもその旨伝えましたが、ケガしなかったのならいいよ」

と寛大なお言葉!だったそうでホットしたわけですが

 

本日またお電話が病院から

看護師「病院の壁紙を剥がしてしまいました。もともと剥がれかかった壁紙でしたので仕方ないね。ということで請求があがることはありませんが、一応報告まで」とのこと

ちょっと担当の看護師さんイラツイてました。

ゴールデンウイークも働いているんですものね。

私も仕事だったのでお気持ち察します。

 

やってくれるね婆さん。

 

病院の皆様へ「暖かく見守っていただきありがとうございます」

とお伝えしに明日面会に行きますわ。

 

今度の病院は、15分本人に会えます。

早くなんとかしなければいけないのですが、

4月3日に介護度の区分変更のための認定調査をしました。

暫定で介護3と言われています。5月15日に審査会が行われるということなので介護保険証が届くのはまだまだ先になりそうです。

 

 

暖かくなって実家に雑草が生えた

母の家つまり私にとっては実家ですが、雑草がたくさん生えました。

今までは母がせっせと草取りをしていたので全く雑草というものが見当たりませんでした。

この庭には、草が生えないのか?と思ってました。

母が入院して2ヶ月半。

冬の間は、草が生えなかったけれど暖かくなって一気に増えてきましたよ。

 

以前、私が実家に行くと、暖かい時は外にいることが多く、指先を真っ黒にして草取りをしていました。

午後4時には外で私を待っていました。

待たれても困るんだけど。

 

この午後4時に合わせないと時間のリズムが狂うのかなと思って

なるべく4時に行くようにしていました。

 

「そんなに草取りしなくていいよ」なんて言ってましたが

しなければこんなに草生えるんだ!!と思い知らされました。

こんなに…。

 

施設には行きたくない。

という母の希望があったので

認知症でも人に迷惑をかけなければ家で暮らせる。

そんなふうに考えて来ましたが、それは私の都合だったのかな。

施設に入居してしまうと面会ができないのが嫌で、渋ってきました。

認知症になって困った事

  • お金の管理ができない
  • 同じ話ばかりする
  • 亡くなった人を生きているかのように言う
  • 食べ物がなんだかわからない
  • 電話をかけられない
  • すぐコンセントを抜く
  • 暑さ寒さがわからない
  • 電気製品のほとんどが使えない
  • 鍵や財布を変な所にしまう
  • 私のことを母の妹だと思っている

いろいろ困った事がありました。

誰かが訪ねてきて、私の知らないプリンやお菓子があるのに

   「誰も来ないよ」と言う。

冷蔵庫に食器を入れたり、冷凍食品を常温に出しておいたり。

家に居るのに「家にかえらなきゃ」と言ったり。

 

でも今は母といた時間は大切ないい思い出です。

こんな事もわからなくなっちゃって情けないと思った日々もあって

怒ったり嫌な顔したり、娘としては最低な態度をとったこともありました。

 

でも、ただ無言で生えてくる草たちを見たら母の姿が目に浮かび、つらくなりました。

 

草も母も命の限り生きようとしている。

 

左手の親指と人差し指がいつも真っ黒だったね。

私は右手で草取りするけど手袋したから、黒くならないよ。

 

母は急性期の病院に入院中ですが、このあとは療養型の病院に転院する予定です。

家に居る時は、大好きだったみかんばかり食べていたので、栄養状態はあまりよくなくタンパク質とアルブミンが低かったらしいです。

改善を試みていただいているようですが、中々改善して来ない。

というのが今現状のようです。

骨折の方はどうかな?歩行器もまだ危ないのかな?

 

母、行方不明で警察のお世話になった事がある

母はアルツハイマー認知症で介護1の認定を受けています。

独居なので、毎日母の様子を見に行っていました。

洗濯機も使えないし、台所でお湯すら沸かせません。

電気ポットのコードはなくしてしまうし、この頃にはもう電子レンジも使えませんでした。

それでもこの時はまだ介護保険も使わずに自宅でのんびり暮らしていたのです。

しかし、事件はおきました。

昨年7月2日(土)12時ごろ母の所へ行ってみると、いつものサンダルが玄関になくて、どこにも姿がありませんでした。

この日は猛暑で36℃の気温でただ立っていても汗が出てくる猛暑と呼ばれる日でした。

 

近所を探してもどこにもいないので家族に連絡し、行きそうな所を手分けして探しました。

 

熱中症で死んでしまう。警察に連絡しよう。

警察はすぐ来てくれました。

事情を聞かれたり、部屋中開けて見たり、外を探したり物々しい雰囲気でした。

「いませんね」てなことで

各警察にも情報が周り、メール等でも行方不明者捜索の協力願いが出されました。

 

凄く大変な事になってる。

警察「放送で探しますか?」

私「お願いします」

警察「ご家族の方が消防署へ連絡していただく必要があります」

と言われたのかな?

えっ!

また同じような説明をしてね。もう何がなんだかわからない。

 

それで消防署の方も到着しました。

本人の特徴など、「髪は白髪。身長は。服装は。水色のサンダルね」

などなど、いざ放送へ。ピンポンパンポン♪~

市全体に流れる防災無線

 

信じられませんよね。

自分の母親が放送で行方不明の捜索をされているなんて。

その時すでに、15時。

発見される

それから20分程でスマホに警察より連絡が入りました。

「発見されました。本人確認のため、現場に来ていただきたいですが。大丈夫ですか?」

 

母の家から1.5キロほど先のドラッグストアの裏で石に腰掛けていたそうです。

近所の人が発見してくれたようですが、朝10時には同じ場所に座っていたそうです。

放送を聴いて同じような人だとな思って、見にいってみたら、まだそこに座っていたので、警察に連絡をしてくれたそうです。

 

母は、手と足に擦り傷を作っていましたが、元気でした。しかし、熱中症の疑いもあるのでこのまま救急車で、近くの病院に行くということになりました。

生きて見つかった。みんなのおかげです。

気にかけてくださった多くの人に感謝です。

 

点滴して一通りの処置を済ませて傷のぬり薬を一本もらって帰宅となりました。

 

母は一切覚えていません。

それが認知症ですが…。

 

母「どこにもいってないよ。ずっと家にいたよ」

私「あのね、警察と消防と救急車のお世話になったのよ」

母「何いってるんだか、そんなことあるわけないわ」

 

腹が立つ。

生きていて良かったと思うのもつかの間。

 

   さて、これからどうするんだい?

   独居でいいのか?

   ご近所さんに迷惑かけられないし。

 

とりあえず、グループホームに相談に行きました。

認知症の人を受け入れてくれる、入居型の施設です。

 

「ああ、あの時の行方不明の…」みんな知ってます。

知らないのは本人だけ。

 

そんなに甘くないです。

満床。

とりあえず、デイサービスからいかがでしょう。

 

というわけで、デイサービスの利用からはじまりました。

 

そして、門には鍵をつけ、出られないようにして日常的に見守りカメラで監視するようになりました。

独居老人の家にWi−Fiつけちゃってね。

はじめはそのカメラが人を感知すると青の電気が点滅するので、気になるらしく母はコンセントごと抜きました。

夜中にそんなことしなくていいのにさ。

 

その母は現在骨折で入院中してます

大腿骨の手術をし、寝たきりにはならず、手引でトイレに行ったり出来るようになりました。

でも、面会ができないので歩いている姿を見たことがありません。

さすがに94歳。

尿路感染やら、肺炎になりかけたり整形外科とは全く関係がないのに、整形外科の病棟でお世話になってます。

リハビリもやってます。

 

「いつもニコニコしてますよ」と看護師さん。

 

昼夜逆転もあるので、日中は車椅子に座ってナースステーションで仕事してるような感じでいることが多いです。

そうすると遠くから少し話ができます。

 

はじめの頃は「誰だかわからない」と私の事を他人を見るような目で眺めていました。

日によって違いますね。

わかってくれた時はうれしいです。

先週は、ナースステーションに姿がなく会えませんでした。

今週は会えるかな?

 

94歳のおばあさんが骨折して人生が変わってしまった話

寒い冬の夜、ひだり大腿骨頸部骨折しました

認知症になり10年程になりますが、おとなしくて人に迷惑をかけないだろうと思っていたのでひとり暮らしを続けてきてしまいました

 

寂しかったよね。

つらい思いしていてもそれを忘れてしまうから

私には伝えられなかったよね。

 

1月22日夜、家のこたつから出てトイレに行こうと立ち上がり転倒した?

動けなかったわけで。

 

なんでそれがわかったかと言うと、見守りカメラをつけていたから。

 

犬や猫などのペットのお留守番の様子を見たり、子供の様子を見たりするために設置する見守りカメラを私は年老いた母のために設置していました。

 

良く映るんですよ。

音声も入ってきます。

インターネットの環境は必要ですが、まあ母が動くとお知らせの音が鳴りピンポン、ピンポンと度々鳴っちゃって夜起こされることもありました。

範囲設定を変えたり、色々うまく利用出来るよう日々変更してました。

 

こたつで寝ているとか、相撲のテレビを見ているとか、みかんを食べているとか、全く姿を見せない時もある???

元気に暮らしている様子が映っていると安心していました。

 

骨折した夜の画像は、変な位置で寝転がっていて「痛い、痛い」という声が入ってきました。

夜11時でしたが、これは緊急事態と察して母の所へ向かいました。

 

私はビールを飲んでしまったので娘に運転を頼んで

車で5分程なんですけど向かった訳です。

 

動けない母。

左足は痛くて全く動かせない。

起きる事ができない。

 

救急車だね。

 

受け入れを断られること3番目の病院で受入が決まり救急車はようやく発車。

レントゲンの結果、ひだり大腿骨頸部骨折で、入院決定。

 

入院時の説明、記入する、サインする、寒いし眠いしこれでもか…。と

長い、とにかく入院が決まっても長いのよ。

 

でも、医師や看護師はもっと大変です。

動けない認知症の母を、なだめながら言い聞かせながら。

私は、おまかせするしかないので。

 

担当の整形外科の先生のお話し

  • 入院で認知機能の低下が進行する
  • 脱臼肢位が守れないと頻回の脱臼で何度も緊急受診になる
  • 認知機能低下により、リハビリが進まず、あまり歩行ができない

「手術はしない方向が良いと思われます」と

 

担当医のおっしゃることは充分理解できました。

その時の母「トイレに行きたい」

 

看護師「今行ってきたけど、なんにも出なかったでしょ」

夜中の病院で響き渡る声の繰り返し。

 

だめだこりゃ。

 

ですから、手術はしない方向での言葉に「ハイ」と返事をしました。

 

家に着いたのは午前4時30分でした。

その後、出勤すると職場のみなさんにもケアマネにも、デイサービスの管理者からも

 

「なんで手術希望しなかったの?!」

  • 94歳でも手術すれば歩けるようになるかもしれない。
  • 痛みだってなくなる。
  • このまま寝たきりでいいのか。
  • 手術して歩けなければ諦めもつく。

 

後日、担当の医師に手術をお願いしました。

内科的に、問題がなければとのことで検査をして、なんとか手術に至りました。

 

長い入院生活が始まりました。

面会はできないので、今まで朝と夕方は毎日顔を出して会っていたので突然顔を見れなくなりました。

そして今後、脱臼をしないためには畳での生活が出来なくなり車椅子が日常的に必要となるので家には帰って来れないでしょう。

 

突然、母の人生と私の人生が変わってしまいました。

高齢者の骨折は突然おとずれますね。

母のふるさとのあんずの花。